彼岸花(ひがんばな)ともいいますが、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の方が、音も漢字の並びも含めて神秘的なような気がします。
私達世代には、まんじゅしゃかという呼び方も懐かしい。
伝説のスター、山口百恵さんの歌『曼珠沙華』
「♪まんじゅしゃかぁ~♪恋する女は~~♪まんじゅしゃかぁ~♪罪作り
白い花さえ 深紅に染める」
今、聞いてもドキドキするぐらいステキです。
1980年、百恵ちゃんの全国横断ファイナルコンサートへ行きました。
会場は佐賀県の武雄文化会館だとずっと思っていたのですが、今回、改めて調べてみると、福岡市の九電記念体育館だったようです。
(松山千春のコンサートとごっちゃまぜになってるみたいで💦)
(何十年も思い込んでいたので、何人に話したのか考えただけでおそろしい💦)
(記憶が完全に変わっている💦)
➡【教訓】自分ほどあてにならないものはない
どうやってそんなプレミアなチケットをゲットできたのか?その記憶はないのだけど、友人とふたりでコンサートに行ったのです。
山口百恵の全国横断ファイナルコンサートMOMOE FINAL
「THIS IS MY TRIAL」
しかも1階席の真ん中あたり。
今考えたらすごい!ラッキー!です。
友人の親も私の親も車の免許がなかったから、車で送ってもらうことはできない。公共機関を駆使して自力で行ったはずなのだけど、その記憶はない。
コンサート当日は、大ファンだった友人の希望で百恵ちゃんの会場入りを見ようと、会場の裏口で待つことに。
当時は今みたいに厳しくなく、50人?ぐらいの人が会場入りを待ってたような気がします。
そして、本当に百恵ちゃんが乗るマイクロバスがやってきました。カーテンも閉まってなくて、中ほどに座る百恵ちゃん発見。
バスから降りて会場の扉へ歩く数秒間。直近で見ることができました。
目の前の百恵ちゃんは、思ったよりずっと小さくて儚くて、聖母様のような清楚なたたずまいでした。
一緒に待ってたお兄さんはカメラを持ってて、写真を郵送してもらった記憶があるのだけど……。探したらどこかにあるかも?
コンサートはもちろん素晴らしくて、ずっと鳥肌が立ってました。
薄まっていく記憶の中で、唯一、年月を経ても色褪せずずっと記憶に残っていることがあるのです。
コンサートの途中。
曲が終わった一瞬の静寂、突然、友人がものすごく大きな声で「百恵ちゃぁ~ん、ありがとう~~っ❤」と叫んだのです。
その時点で、観客の中に声を出した人はいなかったので、それは最初の声援でした。
コンサートとか行ったこともない田舎もんのガキが、誰よりも大きな声で感謝を伝える。
自分にはできない突然の行動に、隣にいる私がどきどきしたのを覚えてます。
興奮の覚めない帰り道、彼女が言ったことば。
「絶対、百恵ちゃんに届いたよね!」
彼女の目も鼻も真っ赤だったけど、
その笑顔はとても誇らしげでした。
43年前の話。
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