花を見るのが好きです。
生け花やフラワーアレンジメントを習ったことはありませんが、今思えば、幼い頃から母が花の名前や季節の実りを教えてくれていたおかげで、自然と花に親しむ心が育まれていたのかもしれません。
私にとって部屋に花を飾ることは、暮らしの中で大切にしたいことのひとつです。
寒さで動きたくない日には、先取りして春を感じさせる花。
不安な夜には、闇に灯りをともすような白い花。
上を向きたい時には、すっくと立つ姿の凛々しい花。
暑い日には、水鉢に浮かぶ涼しげな色合いの花。
自分を鼓舞したい時には、はっきりとした力強い花。
花を活けることは、単なる装飾ではなく、その時々の心を映す行為なのかもしれません。
そんな私が川瀬敏郎さんの「なげいれ」に惹かれ、
彼の花の世界をもっと知りたくて手に取った一冊、『一日一花』。

この本には、花を活ける技術ではなく、日本という国に深く根付いた美意識と、自然へのまなざしが詰まっていました。
震災の春に見た、花と人の笑顔
<<東日本大震災のひと月後、テレビのニュースを見ていたときでした。
画面は剥きだしの大地に草が萌え、花が咲く、被災地の遅い春を映していましたが、私の心をとらえたのは、花をながめる人々の無心の笑顔でした。
じつは震災のあと、私は生まれてはじめて花を手にすることができずにいたのですが、その笑顔にふれて、むしょうに花がいけたくなり、気づけば「一日一花」をはじめていました。
生者死者にかかわらず、毎日だれかのために、この国の「たましひの記憶」である草木花をたてまつり、届けたいと願って。 >>
あとがきより
なげいれと「素」の美しさ
川瀬さんは『一日一花』を「花による曼荼羅」と表現し、
日本の祖型は「人為のおよばない自然」であると述べています。「素」の美しさを尊ぶ心情は、そうした自然観に由来するのではないかと。
「なげいれ」の花――それは、人の手を加えず、草木花が本来持つ姿をそのまま活かすもの。その花の中に美と心を見出したわび茶の茶人たちは、変わりゆくものの中に「素」の美を見出し、移ろいを受け入れる心を大切にしていたのかもしれません。この心情は、日本人の美意識そのものを象徴しているように思います。
『一日一花』を開くたび、私は日本人であることを強く実感します。
四季、侘び寂び、ハレとケ、自然、戦いの歴史――。
華やかなアレンジメントも変わらず好きなのですが、最近はなげいれの美に惹かれるようになりました。
年取ったってこと?
いやいや、
経験を重ね、視座が高くなったってことに(笑)
調べものをしようとスマホを手に取ると、
AIが選んだ広告が絶え間なく流れてきます。
花や自然の写真を撮ってアップしていたインスタも、
いつのまにか起業やセミナー案内の積極的な投稿が多くなりました。
加工された美しい映像や、とめどない情報に焦って疲れてしまったら、
ここに戻ってくれば大丈夫と思う1冊。
追記
2年前に紹介した本のことを、また、書いてみました。
ライター塾で文章の書き方について学んだので、変わっているのか検証したかったのです。
少しでも、進歩していると思いたい😢